恋愛や婚活にも使えるマーケティング手法「STP分析」
STP分析とは
- Segmentation セグメンテーション:市場を細分化し標的にする市場を決定する
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Targeting ターゲティング:ターゲット層を抽出する
-
Positioning ポジショニング:自社の立ち位置を明確化し競争優位性を確立する
恋愛/婚活で考えると?
セグメンテーションには創造性が求められる
広川によれば、企業戦略の中で、セグメンテーションほど創造性を求められるものは他にないという。競合企業の気づかぬうちに、新しいセグメンテーションを作り出す企業が、価値を収める。しかし市場をただ分割すればよいというのではない。セグメントする基準は、戦略自体に「完璧に合致」していないといけない。そうでないセグメンテーションは使い物にならないか、またはそれを本当に実行に移せば、貴重な時間や経営資源を浪費するという実害を生む。
戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ (日経ビジネス人文庫)
- 作者: 三枝匡
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2002/09/01
- メディア: 文庫
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※ちなみにこの書籍はかーなりお勧め!意識高い系ビジネスパーソンであれば必ず読むべきです
そう、セグメンテーションには創造性が求められるのだ。
しかも三枝氏はそれだけでなく、セグメントの基準が戦略と完全に合致することが必要だと説かれている。
これには難易度高くなっと感じるが、しかし一方で、 この言葉自体が大きなヒントでもあると感じる。
つまり、セグメントの切り口が分からない場合は、戦略から考えればいいのだ。
何度も繰り返してしつこいかもしれないが、恋愛で言えば、自分にはどういう魅力があって、どういう女性に好意をもってもらえやすいのかという点からスタートし、どうやって彼女を作るべきかというストーリーを考える、つまり自身の恋愛戦略がまず先にあるべきだということであり、その戦略を実現化するために女性市場をどうセグメンテーションすればいいのかを検討していく、という思考順である。
もっとも、鶏が先か卵が先かの議論になりそうな気もするが、まずは戦略が先にある方がべき論ではないかとは思う。
私がベンチャー企業で実践したSTP分析の実例
論語から読み解くリーダーシップに必要な要素:論語に学ぶその2
自身の学びの意味も合わせて、実践的な教えである論語をビジネスに活かす方法を取りまとめており、今回は第2弾としてリーダーシップのあり方を考えてみた。
なお前回の投稿はこちら。
論語に「民は之を由らしむべし。之を知らしむべからず」という言葉がある。
子曰、民可使由之、不可使知之。
民は之を由らしむべし。之を知らしむべからず
民にすべてを教えることは難しく、信頼させるべきである、という意味だ。
少し補足すると、はじめの「べし」は命令、後半の「べからず」は不可能的推量と断定を一にした意味の助詞で禁止の助動詞ではないのだが、「知らしむべからず」を誤訳して「民に詳細を教えるべきではない」「教える必要はない」と理解している人もいるが、それは間違いである。
安岡正篤はこの言葉について次のように語っている。
民衆は利己的で目先のことしかわからないから、爲政者の遠大公正な政策の意味を理解させることは非常にむずかしい。時には不可能である。結局民衆の良心を信じ、「何だか能く分からんが、あの人の言うことや行いに間違いはなかろうから任せる」。信無くんば立たず、信頼させる以外に由らしむることは困難である。
さて、これは為政者向けの言葉なのだが、我々企業人にあてはめ解釈すると、次のようになると私は考える。
経営者は会社全体の利益、つまり「部分最適」ではなく「全体最適」を目標とするが、それは従業員視点で見ると、その人が所属する部署部門や個々人の活動・目標と相いれないこともある。そして、人は感情で動く要素も大きいため、そのギャップを理屈だけで説得することは当然ながら難しい。
だからこそ、経営者やリーダーは日頃から嘘偽りなく誠実に全力を尽くし、社員から信頼される存在になることが重要だ。「あの人が言うのであれば、付いていこう」と、従業員や部下から信頼されるリーダーになってはじめて、組織を適切にかじ取りできるのではないだろうか。
経営コンサルタントはまず理論で物事を考えるが、やはりそれだけでは足りないと感じる場面に多く遭遇する。
例えば、事業を成長率をシェアの4つに分けるプロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)手法で「負け犬に分類されたから、この事業から撤退する」となったとして、その事業を営んでいる従業員はすんなり納得するだろうか。
もちろんコンサルタントも従業員に納得してもらえるような論理的かつ透明性の高い説明資料を作成したり、その後従業員に輝いてもらえる場所を設計したりする。だがそれでもすべてを伝えることは難しい。「之を知らしむべからず」である。
このような場面では、結局のところクライアント企業に鶴の一声で組織を動かせる人がいるかが、その話は進むかどうかを決めるケースが多い。「民は之を由らしむべし」である。
因みに、いろいろな企業に関われることで、そのようなリーダーシップが発揮される場面を複数見聞きし自身の糧にできるのがコンサルティングファームで働くことのメリットの1つであるが、反面、どこまでいっても第三者であるコンサルタントはそのようなリーダーシップを実践できる機会が少ないのがデメリットであるとも感じる今日このごろである。
ではでは。
コンサル男子は料理が好き!?美味しい焼きそばの作り方
土日のお昼は焼きそばを作ることが多い。理由は単純で、簡単に作れるさら。
そしてせっかく作るのであれば、美味しく作りたいと思い試行錯誤を繰り返し、かなり美味しい焼きそばを作れるようになった。
なので今回は、焼きそばを100回以上作っている身として、これまで調べたり実践して得た「美味しい焼きそばを作るコツ」を伝授しようと思う。
美味しい焼きそばの作り方
麺は水洗いし、先に焼く
一般的な市販の麺は油でコーティングされており余計な味・においがするのでまずそれを洗い落とす。そしてその後麺を一度焼いてしまう。
そうすることで、臭みをとり、麺自体を美味しく香ばしく仕上げることができる(麺に焦げ目が欲しい人は、ここで調整する)。
なお、この後肉と野菜を焼くので麺はいったんフライパンからお皿に退避させておく。
(この工程は面倒であればレンジでチンでもOKだ)
肉ともやし以外の野菜をいためる
肉は豚バラが美味しいかな。贅沢に肉の量を多くした場合は、キッチンペーパーで余計な油を拭き取ることを推奨。
野菜はお好みで。甘くなってしまうので私は玉ねぎは使わない派。塩焼きそばなら長ネギは必須ですね。なお長ネギ好きなのでソース焼きそばでも私は長ネギを大量投入する。ピーマンは味が強いので使いすぎ注意。キャベツは好きなだけどうぞ。
ソースは麺のみにかける
肉と野菜に火が通ったら麺をフライパンに戻して付属の粉末ソースをふりかけのだが、その際に粉は麺だけにふりかける。これが一番のポイントだ。
そうすることで野菜本来の味とシャキシャキ感を残すことができるとともに、味がくっきりする。粉を満遍なく振りかける場合とそうでない場合とでは差がかなりあるので、ぜひこれは試してみて欲しい。
最後にもやしを投入する
麺と野菜を混ぜたら、最後にもやしを投入する。そうすることでしゃきしゃきとしたもやしを味わえるし、また炒める時間が減ることでもやしから出る水分を抑えられ、水っぽい焼きそばを避けられる(なお市販の焼きそばのソースが粉末であることが多い理由は、焼きそばを水っぽくさせないことらしい)。
以上の方法で作る焼きそばは絶品である。もし明日のランチが焼きそばの予定であれば、ぜひ試してもらいたい。
コンサル男子は料理が好き!?
ちなみに、私は経営コンサルティングファームで働いているが、結構料理男子が多い気がする。ざっくり分析すると何事にも凝り性だという人と(そういう人は器具や具材にもこだわる)、美味しいレシピは科学的に理にかなっており再現性があるのが好き、という人が多い気がする。ともにコンサルティングファームらしい(勝手に思っているだけだが笑)。
ちなみに私は両方に当てはまり、後者の視点であれば今回のレシピで言えば、全体ではなく麺にソースをかけた方が味がくっきりして美味しくなる点など、理由も明快で非常に気に入っている。また前者の視点だと具体的にはカレー作りにはかなり拘っており、時間のある時は市販のルーを使わずにスパイスだけでカレーを作ったりもする。これはいつかレシピを紹介しようと思っている。
ではでは。
雑巾掛けのできる掃除ロボットブラーバをオススメする理由
ルンバで有名な iRobot が掃除機ではなく拭き掃除ロボットシリーズ「ブラーバ」の最新モデルを発表し、本日から販売開始とのこと。
私は去年の夏頃にお掃除ロボットを欲しくなり複数製品比較検討したのだが、結果としてお掃除ロボットではなく拭き掃除ロボットのブラーバに行き着いた。
拭き掃除ロボットはどういうものかというと、下の画像の通りゴミを吸うのではなく、専用のシートを使って床を拭いてくれるロボットだ。
なお上の写真の通り水を吹きかけながら拭き掃除するブラーバジェットと、吹きかけはない無印のブラーバがあり、私は後者を購入し、愛用している。
ルンバではなくブラーバを購入した理由
ブラーバを選定しそして満足して使い続けているのには大きく3つの理由がある。
- ルンバは大きい&騒がしいのに対し、ブラーバは静か
- 拭き掃除でもホコリは十分取ることができる
- 水拭きされたフローリングが気持ちいい!
購入の決め手はサイズと稼働音
掃除機が自動化されたわけなので仕方がないと思いつつ、サイズが大きく、稼働音も大きいのがどうしても気になってしまった。
ルンバのiRobot以外のメーカーも見たのだがいずれも大きくうるさく、夫婦2人の慎ましいマンションには合わないなと感じてしまった。
一方ブラーバはゴミを吸うのではなく床を拭くだけなので、非常に静か。ゴミを貯める部位も不要なのでサイズも小さい。
これが購入に至った大きな理由である。
思った以上に床が綺麗になり大満足
実際に使い始めて満足度が高い理由の1つは、しっかりと綺麗になること。
ブラーバは乾拭きと濡れ拭きの両方に対応している。後述するが、無印ブラーバは市販のクイックルワイパーのシートを取り付けることができ、つまり自動で床を満遍なくクイックルワイパーで掃除しているのと実質同じである。大きなごみは無理であるが、塵やほこり、髪の毛などはクイックルワイパーがふき取ってくれ、しかも掃除後もシートを捨てるだけなので楽ちん。
私は週に2,3回乾拭きし、清潔なフローリングを享受している。
濡れ拭きがかなり気持ちいい
ブラーバは濡れ拭きもでき、方法は簡易にクイックルワイパーのウェットシートを使う方法と、付属品のぞうきんのようなシートを濡らして絞ってブラーバに取り付ける方法の2つがある(これは文字通り、ぞうきんがけになる!)。なお後者は掃除後にぞうきんを洗ったり乾かしたり若干の手間がかかるが、まあ気にならない程度。
濡れ拭きはルンバではできないことなのでブラーバの大きな魅力の1つでもあるのだが、濡れ拭き後のフローリングが非常に気持ちいい。気持ちよすぎて、そのままフローリングに横になってしまうぐらいだ!
ぞうきんがけなんて中学校卒業以来やっていない、という人も多いと思うが、普段やらないだけあって、一度濡れ拭きを経験すると、やみつきになってしまう。
どのモデルを買うのが良いのか
ということで、私はかなりのブラーバ推しであり、「お掃除ロボットを買おうか迷っている」という友人がいれば、迷わずブラーバを紹介している笑
なお上記にも書いたがブラーバには無人のブラーバと水ジェットのあるブラーバジェットがある。
水ジェット以外の大きな違いは掃除用のシートが正規品しか使えないか、他社製品も使えるかである。
ブラーバジェットは正規品シート(使い捨て)しか使えず、かつそれがちょっとお高いので、ランニングコストが上がってしまうのが弱点だ。一方無印ブラーバはクイックルワイパーやその他のシートでも使えるのと、付属品の雑巾も洗えば何度でも使えるので、ランニングコストを抑えることができる。
試していないので正確ではないが、恐らくジェットの方が洗浄力は高いと思うので、洗浄力を取るかコストを取るかが1つのポイントになるのであろう。
またブラーバジェットの最新版は高価な代わりにスマホ操作できたり掃除可能範囲が広がったり部屋の中の配置を覚えてくれたり自分で充電スポットに戻ってくれるという進化を遂げているらしい。
ブラーバの本質を「拭き掃除」と見る人は旧作で良いと思うし、「時短」「利便性」に重きをおく人は最新版を検討するのがよいのではないかと思う。
ただどのモデルを購入するにせよ、これまでの掃除では得られなかった「濡れぞうきんがけされたフローリング」という価値を得られることには変わりがないので、興味があればぜひ検討してもらいたい!
ブラーバ380j アイロボット 床拭きロボット 簡単操作 水拭き・乾拭き 急速充電 落下防止 B380065
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ブラーバ390j アイロボット 床拭きロボット 水拭き 雑巾かけ 静音 洗剤付き 選べる2つのモード 落下防止 花粉対策に B390060
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ブラーバ240jet アイロボット 床拭きロボット 水拭き 雑巾がけ 静音 落下回避 花粉対策に B240060
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ブラーバジェットm6 アイロボット 床拭きロボット マッピング 水拭き Wi-Fi対応 遠隔操作 静音 複数の部屋の清掃可能 m613860 【Alexa対応】
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ではでは。
外資コンサル流タスク管理は「完了基準」を考える
次のプロジェクトの実行計画・スケジュール・タスク作成を今行っているのだが、それに関連して失敗しない計画作りの勘所をお伝えしようと思う。
プロジェクト管理ツール WBS
コンサルティング業界や、またはSIerさんなどのプロジェクト単位で働く企業では、WBSというプロジェクト管理ツールが使われるケースが多い。
WBSとは「Work Breakdown Structure」の略称で、プロジェクトにおける必要な作業(Work)を切り分けて(Breakdown)、それを構造化(Structure)したものを指す。
イメージで言えば、「何を」「いつまでにするのか」を管理するToDoリストに「誰がするのか」「いつ着手するのか」「どれぐらい時間がかかるのか」の情報を付加したものである*1。そしてそこまで情報が揃うとカレンダーとセットで管理できるので、WBSはガントチャートを内包することが多い。
なおWBSについて丁寧に説明しているサイトがあったので、そこに掲載されていたイメージのサイトそのもののリンクを貼り付けておく(このサイトでは分かりやすく、年賀状投函をプロジェクトとしてWBSを作成している)。
今回の記事の目的はWBSの紹介というよりも計画作成時の重要な点の紹介なので、WBSの詳細を知りたい方は下記サイトをご参照あれ。
WBS:Work Breakdown Structureの組み立てはプロジェクトの品質を左右する - コロンバスのブログ|COLUMBUS PROJECT
ToDoリスト不要論が発生する理由
因みに、ToDoリストを作成してもうまく活用できないであったり、計画倒れになってしまうという人は、実は結構多いのではないだろうか(なお偉そうに言っているが、私もそこまで得意という訳ではない・・・)。また、ToDoリストを作成1つ1つつぶしていったけれども、臨んだ結果を得られなかったという方もいるであろう。
そのように、計画を立てても結局使わない、使ったとしてもたいした効果がない、というのがToDoリストを代表とするタスク管理に否定的な方々の意見だと思う。
こういう意見に対し、私は部分的には同意する。というのも、そもそもの「リスト」が不完全であれば、それを一生懸命つぶしても期待した効果を得られないし、そのような経験が積み重なるとメリットを感じられなくなり「リスト」が使われなくなり、そうなると計画立てても無駄だよね、となってしまう。そしてそのようなケースが多いと思うので、ToDoリスト不要論を唱える人たちのことも理解できる。
タスク管理の勘所
では、どのような点に留意してリストを作ればよいのか。
それは、「ゴール」とそのための「完了基準」を考えることだと私は思っている。
WBSやToDoリストでよくあるのが、「いつまでに」「何をやる」という『やることリスト』だ。恐らく世の中のToDoリストの大半は『やることリスト』だと思う。
ただの『やることリスト』の何が問題点は、それだけだと網羅性を担保できない+品質が分からないことだ。
例えばToDoリストに「役員会で発表する資料を作成する(締め切り:X月Y日)」と書いたとする。さて、これだけでタスクを完了できるだろうか。これを個人で行うのであれ、チームで行うのであれ、残念ながらこれだけだとうまく進まないと思う。例えばどこまで作成するのであるかとか、何ページ作成すればいいのかとか何も分からないし、WBSであれば何時間かかるかを見積もる必要があるが、これだけだと経験と勘で「えい、やぁ」と時間を見積もるしかない。
このような状況に関して、細かくタスクを設定するのが好きな人は、どんどん細分化していって、例えば「コンセプト設定」「全体の構成作成」「初回レビュー」・・・などといった感じにマイクロマネジメントを行おうとするが、たいていの場合そのような面倒くさい管理はみんな嫌がるため、結局うまくいかないことが多い。
またこのとうな考え方は積み上げ式のアプローチであるため、抜け漏れが発生しやすい。例えば発表の直前になって、資料作成だけでなく、事前にXX部の部長への根回しが必要だったと気づく、、、といった具合である。
「やることリスト」だけだとうまくいかない理由が少しお分かりいただけただろうか。
一方で「完了基準」を考えた場合どうなるのか。
完了基準を考えるというこはある意味視点の変更であり、「~~する」という視点を、「~~の状態になる」の視点に変えることである。
上記の「役員会で発表する資料を作成する」の例だと、考えるべきことは発表した結果どうあるべきか、だ。例えば「〇〇に関する投資の了承を得られた状態」などである。そしてその「状態」を達成ためには何を満たせばよいのか、、、が完了基準である。
このように考えると、単に「資料を作成する」というやることリストではなく、何が必要なのか、網羅性と品質の両軸から考えることができる。そのようなアプローチで作成すしたリストは「何を」「どこまでやればいいのか」が明確、つまり網羅性が担保されるとともに、品質レベルも定義されたものになる。
ここまで具体化されていれば、使う方も利用するモチベーションも枠であろうし、また仮に日々の進捗管理に使わないとしても1つの目安になるため、計画倒れにもなりにくい(というよりも、計画を立てた段階で無茶な計画かどうかの判断が付くので、「計画倒れ」になる可能性が下がる)。
大事なのでもう一度繰り替えるが、計画やスケジュールを立てるときに考えるべきことは「やることリスト」ではなく「完了基準」である。
ではでは。
アラサーですがいまだにセカイ系が好きです
新海誠の天気の子が公開された。たぶん、近々見に行くと思う(ので本投稿は天気の子のネタバレ無しです)。
ただ、ネットで評判を見てみると、つまらないという意見もちらほら。
でも数字だけならば、出足は君の名よりも順調のようだ。
初日3日間で『君の名は。』対比128.6%となる16億円超えの興行成績を記録したことが分かった。
ではなぜ賛否分かれたり、つまらないという意見も多いかというと、きっとセカイ系を嫌いだという人、受け付けないといつ人が一定数いるからかもしれない。
セカイ系とは?
オタク用語なのでいらない方も多いと思うが、2000年代に生まれたアニメや漫画、ライトノベルなど業界での用語であり、Wikipediaには次の通り書かれている。
サブカルチャーを論じる評論家として注目を集めていた東浩紀を中心に発刊された『波状言論 美少女ゲームの臨界点』編集部注によればセカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、代表作として新海誠のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作があげられた。
小さいコミュニティ内でのボクとキミの出会いや葛藤、恋愛模様、精神的成長がそのまま世界の終わり(あるいは世界の終わりの回避)に繋がる物語をセカイ系と呼ぶ。その元祖は1995年に放送された『新世紀エヴァンゲリオン』だ。
それまでのロボットアニメとは異なり(エヴァは厳密にはロボットではないが)、主人公の心情や葛藤の内面描写がかなりフォーカスされ、結局主人公シンジ君の行動によって世界の全てが決まってしまう、まさにセカイ系である。
他には有名どころであれば、上記Wikipediaにも記載されている『最終兵器彼女』や、京アニがアニメ化もした『涼宮ハルヒの憂鬱』などが有名だ。
そして新海誠の前作『君の名は』も、セカイ系にあたる。瀧くんと三葉の入れ替わりが、糸守町を救ったのだから。
因みに先週末に、普段はアニメを一切見ない妻への教育のため(?)新海誠の『秒速5センチメートル』と『君の名は』を見せてみた。
(秒速5センチメートルは、惹かれ合っていた男女の時間と距離による変化を描いた1時間程度の短編映画で、これはセカイ系ではない恋愛映画)
意外と両方とも楽しみつつも感想は「どっちも中二病だね」だったのだが、妻は秒速5センチメートルの方が気に入ったようだ。君の名は、なぜ2人が入れ替わるのか、なんで時空を超えているのか、どうして糸守町が救われたのか、訳がわからないとのこと。
(なので妻には新海誠の『ほしのこえ』は見せなかった)
恐らくこれは典型的なセカイ系へのツッコミなのではないか。
最終兵器彼女ではヒロインのちせがなぜ兵器になったのかとか何をしているのかなどは一切説明がないし、涼宮ハルヒだってどうしてハルヒが不思議な力を持っているのかや、どうしてキョンがキスをしたら世界の崩壊が防がれたのかは説明が一切ない。
しかしそういった社会関係とのつながりよりも、中二病的かもしれないが、自己投影先である主人公の苦悩や内面の変化が世界を変えていくという爽快感がセカイ系の魅力であり、そこに好き嫌いが発生するのは仕方がないことだと思う。
君の名はが流行った=一般受けした理由は、おそらく映像美や音楽とのマッチ、起承転結がはっきりしていてかつ疾走感のあるストーリー、印象的なハッピーエンドなどの魅力が、セカイ系の人によっては受け入れない指摘点を大きく上回ったからであろう。
(なお秒速5センチメートルを知っている人は、最後の最後まで、滝君と三葉がすれ違って終わるのではないかとハラハラしたと思う)
そう考えると、天気の子が最初の動員数は多いものの評判がイマイチなのは、もしかしたらセカイ系らしいセカイ系なのかもしれない。
と、とりとめもなく書いたが、何か言いたいかというと私はかつてセカイ系が大好きで、エヴァは時代が少し違うが高校時代に何度も見たし、ハルヒはまさに高校時代にちょうど全盛期だったので、ドはまりしていた。またその当時ライトノベルにものめりこんでいて、いったいアニメイトにいくら費やしたことか・・・
そして久々に君の名はを見たら、おっさんになってもやっぱりセカイ系はワクワクするなと改めて実感し、近いうちに天気の子も見にいこうと思った次第である。
ではでは。
主体的に生きるということ:「7つの習慣」と「夜と霧」と「東洋思想」
読書の面白さの1つに、様々な書籍を読んでいると、時代や洋の東西、ジャンルが違っていたとしても、共通した考えや意見・主張を見つけられることが挙げられる。そういったものは「普遍的な教え」である可能性が高いとともに、一方でそれれはそれぞれ異なった書き方や切り口、文脈で説明してくれているわけであるから、多面的に学び取ることもできる。
今回は、そのような「普遍的な教え」だと思われる『主体的に生きる』ことについて、まとめてみたい。
主体的に生きるということ
主体的に生きるとは、自分で物事を選択し、行動していくということだ。
現状に対して言い訳をせずに何事も「自分ごと」と捉え、自らの行いの責任を自ら引き受け、他人や周囲に左右されずに自立して、真の意味で自由に生きるということだ。
7つの習慣に見る「主体的な生き方」
おそらく世界でもっとも読まれている自己啓発本の1つである「7つの習慣」の冒頭に出てくる教えは、まさにこと「主体性を発揮する」というテーマである。
書籍の中では次のように定義されている
人間として自分の人生に対して自ら選択し、自ら責任をとるということ
これは、すべての出来事に対し、反射的に反応するのではなく、自ら選択をするべきだということだ。
例えば何か好きではない仕事/苦手な仕事が割り振られた時に、それを嫌々やるのか、それとも苦手克服のチャンスとみなして前向きに取り組むのか、それを決めるのは自分自身だということである。
他にも例を挙げると、例えば大事な約束があった時に電車の遅延で遅刻をしてしまった。その時に、公共交通機関の遅れだから仕方がないとみなすのか、次回から大事な約束の時は10分前に着くようにしようと心掛けるのか、の違いである。
7つの習慣では、これを「刺激と反応のモデル」と称して次の通り図で説明している。
http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-10.html
反射的な人は、起こったことに対して考えずに反応してしまう。
一方主体的な人は、刺激と反応の間に、選択をする「スペース」がある。分かりやすく言うと、起こったことに対して、どのように振舞うのがよいのか考える間がある。
例えば、駅を歩いていて人と方がぶつかった時に、無意識に舌打ちをする人はいないだろうか?また例えば、誰かが自分の悪口を言っているのを知った時に、すぐに怒ったり悲しんだりしてしまう人はいないだろうか?
その反応が、自分自身のビジョンや倫理観、ありたい姿をイメージした上で選択した結果であれば問題無いのだが、もしも無意識に反射的にしてしまっているのであれば、それは「主体的」とは言えないよね、というのが7つの習慣の教えである。
- 作者: スティーブン・R.コヴィー,Stephen R. Covey,ジェームススキナー,川西茂
- 出版社/メーカー: キングベアー出版
- 発売日: 1996/12/25
- メディア: 単行本
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東洋思想の側面から眺めると
さてこれを東洋思想の側面から眺めてみよう。
論語の中には、次の言葉がある。
君子求諸己、小人求諸人
君子は諸(こ)れを己(おのれ)に求め、小人(しょうじん)は諸(こ)れを人に求む
明解な言葉なので詳細な解説は不要かと思うが、シンプルに言えば、立派な人は何があっても他人のせいにせずに原因を自分の求め反省し次に活かす、といったところであろうか。
また東洋思想の大家である安岡正篤先生は、著書の中で次のように述べている。
環境が人を作るということに捉われてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう。
人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以がある、自由がある。即ち、主体性、創造性がある。
だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。人間ができないと環境に支配される。
小さい人間は環境に支配されてしまう。つまり刺激に対して選択をせずに反射的に反応してしまう。対して偉大な人は環境に左右されずに、むしろ自ら影響力を発揮して周囲を変えていってしまう、と言っている。
言い回しこそ違うが、根本にある考えは同じであることにお気づきだろうか。
洋の東西も、時代もまったく違うのに、である。
※参考
アウシュビッツでの凄惨な暮らしを描いた夜と霧が教えてくれる、生きるということ
もう1つ、別のジャンルの書籍を見てみよう。
「夜と霧」というタイトルのユダヤ人心理学者が書いた書籍をご存知だろうか。
簡単に紹介すると、第二次世界大戦中にユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇蹟的に生還した心理学者の著者が自らの経験を分析し綴った書籍である。
日本では1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。
書籍の中では、心理学者らしい観察眼で、強制収容所という極限状態における人々(これは収容者だけでなく監督官も含む)の心理状態が分析されており、考察は人間の存在そのものや、生きる意味とは何か、まで展開されている。正直、涙無しには読み進めることができない一冊だ。
さて、その中の感動深い一節を紹介したい。
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
(中略)
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
また、こちらも印象的である。
あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。
- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
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このような名文の後に私の駄文を重ねるのは蛇足にしかならないので、そろそろ筆を止めようと思うが、7つの習慣でも東洋思想でも、そしてアウシュビッツでの経験から書かれた夜と霧、切り口を変えながら主体的に生きることの大切さを訴えかけてきているのがよく分かる。
主体的に、生きよう。
ではでは。