点灯夫のように生きよう 〜 外資系コンサルタントの小さなつぶやき

点灯夫のように生きよう 〜 外資系コンサルタントの小さなつぶやき

とある外資系コンサルティングファームで働いているアラサーのつぶやきです

「学び」と「考える」の両方がなければならない:論語に学ぶその3(学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆し)

コンサルティング業界は一般的に優秀な人材が集まる場として認識されている。実際その通りだとは思うし、いわゆる「つかえないおじさん」的な社員はいない(そもそも40代以上はぐっと減り、役員でもない限り50代はいない業界ということもあるが)。

が、しかし「過去の経験だけで食っているな」「特定のソリューション知識をただ単に切り売りしているだけだな」と感じる人もいるし、また「もっともらしいことを言っているけど論理的な裏付けがないな」と思ってしまう人も、少なからずいる。
ただそれでもクライアント企業に対して「売れて」いるわけであるし、人材の質、より正確に言えばランクに対する人材の質のバラつきはチーム編成でカバーしているように見えるし、それが「組織力」なのかなとも考える。

 

さてそのように一定以上の能力があれば、組織である以上は会社としての「使いよう」、本人としての「生きよう」があるべきだが、そのような人にはなりたくないと思うのは当然のことだろう。

 

そうならないために、私には常々気を付けている言葉がある。

 

子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。

学んで思わざれば則ち罔し(くらし)。思うて学ばざれば則ち殆し(あやうし)

 

非常に単純明快な言葉であるが、「学んでも自分の頭で考えなければ分かったとは言えない。一方で、自分勝手に考えるだけで学ぼうとしないのは危険なことだ」という意味である。

 

これはまさにその通りだ。

知識は活用するためにあるのであり、ただインプットを増やすだけでは本質的な意味はない
また、流れの早い現代においては、新しく学んだ最新知識も数年したら陳腐化してしまうわけで、学んだ知識にどう意味があるのかであったり、それがその他の知識とどう関係しているのか、つまり体系的な整理がされなければ、ただの一過性の知識として終わってしまう。

 

関連:

lightingup.hatenablog.com

 

さて一方で、自分の頭で考えるだけ、つまり学びによる裏付けのない決め打ちは、、、危ない

あまり政治的な話をするのは好きではないのだが、右派にせよ左派にせよ、ここ数年の発言の「目立っている」人の意見を聞いてみると、どうもただの思い込みや、ある一面だけから物事を語っているのではないか、と思うことが非常に多い。

コンサルティングの現場ではクライアント企業に対して提言を行うのが仕事であるが、それもやはり「ただのアイディア」「単なる思い付き」では意味がないというか、クライアント企業支払っている高いフィーを正当化することができない。そのため、いわゆる経営のセオリーや、業界内外の最新の動向、クライアント企業内部のFactを集め、それをフレームワークを用いて説得力のある形で説明するのである。自身の提言がクライアント企業の意思決定を左右するわけであるから、このプロセスが必要不可欠なのである。

がしかし、このプロセスをどこまで突き詰めるかはどうしても個人差が出てしまうし、また時間的制約もあるので、ベターの中のベターの表現になってしまう面もあるのだが、またそれは別の話・・・

 

なお自分にとっては、このブログもまた罔く(くらく)ならないための、そして殆く(あやうく)ならないための手段である。

文字に表すのは、学んだものを自分の中に定着させるためにも、また考えたことを整理するためにも、最適な方法だと思う。

 

最近プロジェクトが忙しくブログを書くペースが落ちているのだが、なんとか続けていきたいものだ。

ではでは。

 

※過去の論語シリーズはこちら 

lightingup.hatenablog.com

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