点灯夫のように生きよう 〜 外資系コンサルタントの小さなつぶやき

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とある外資系コンサルティングファームで働いているアラサーのつぶやきです

知識でも見識でもなく胆識を身につけるべし:安岡正篤の教えその1

安岡正篤という方をご存知でしょうか?

人間学」を掲げる大正〜昭和時代の偉大な思想家・教育者・陽明学終戦詔勅の草案作成や「平成」の元号の考案者とも言われている大哲人です。

Wikipediaには次のように記されています。

戦後にあっては、自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し「実践的人物学」「活きた人間学」を元に多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番の位置にあった。安岡を信奉し、師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂池田勇人佐藤栄作福田赳夫大平正芳など多くの首相が挙げられる。

安岡には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者がおり、三菱グループ近鉄グループ住友グループ東京電力など多くの財界人をも指南していたとされる

戦後の歴代総理に「日本の黒幕はだれか?」と聞けばほとんどの首相が安岡正篤の名前を挙げたという。数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから「昭和最大の黒幕」と評される。安岡本人は「自分はただの教育者にすぎない」と考えていたため「黒幕」と言われるのを嫌がった。しかし、自分自身が直接権力を持たない反面、権力者に対して絶大な発言力を持っていた。名のある大物ほど安岡の教えに心酔し、意見や講演を求め、本人の意思に反して各界に影響力を拡大していったためである。


僕は社会人になってから安岡正篤という人物を知り書籍に触れてから大きく心を動かされ、それ以降「心の師」として仰いでいます。

以前、マインドセットが大事だという投稿をしましたが、僕のマインドセットと言いますか、考え方の根底と言いますか、安岡正篤に触れたことによってより骨太になったと実感しています。

※ただし会社では師匠から「徳田さんは思想家だね」と茶化されています笑

lightingup.hatenablog.com

 

令和の時代になったとしても安岡正篤先生の教えは変わらず僕らが正しく生きていく上の指針になるという想いから、これからちょくちょくエッセンスを紹介していければなと考えています。

 

知識・見識・胆識の三識が兼ね備わってはじめて人物の器量となる 

その第一弾として、「知識・見識・胆識」の考え方を紹介します。

 

物事を判断するためには見識が伴わなければならない

まずは知識と見識の違いです。

知識と見識は似ておるようですが、これは全く違います。

知識なんてものは、そのもの自体では力になりません。知識というものは、薄っぺらな大脳皮質の作用だけで得られます。学校へ入って講義を聞いておるだけでも、あるいは参考書を読むだけでも得ることができます。しかし、これは人間の信念とか行動力にはなりません。知識というものにもっと根本的なもの、もっと権威のあるのが加わりませんと、知識というものは役に立ちません。それは何かと言えば見識です。

知識はただ書物などから知っただけの情報で、それだけだと実社会においては何の役にも立たないと仰られております。

対して見識とは何か。

ある一つの問題についても、いろいろ知識の持った人が解答いたします。しかし、それはあくまでも知識であります。しかし事に当たってこれを解決しようという時に、こうしよう、こうでなければならぬという判断は、人格、体験、あるいはそこから得た悟り等が内容となって出て参ります。これが見識であります。知識と見識とはこのように違う者です。

知識をもとに物事を判断できる、意思決定できるようになると、見識があると言えるようになるとのこと。

自分の一方的な意見を言うだけの人や、当事者意識なく外野から意見するだけの人は、いくら知識が秀でていても見識があるとは言えない、知識は活用されて初めて価値がある、ということですね。

 

断固たる実行力がともなって胆識となる

身の回りを思い浮かべてみると、見識のある人ですら限られると思うのですが、しかし安岡正篤先生は見識だけではまだ足りないと説きます。

ところが、見識というものはそういう意味で難しいものですけども、この見識だけではまだ駄目で、反対がどうしてもあります。つまり見識が高ければ高いほど、低俗な人間は反対するでしょう。

見識だけだと、実行面がおぼつかない。反対勢力や足を引っ張ろうとする人に邪魔されてしまう可能性があると仰られています。

なるほど、確かにそうですね。「低俗な人間」はどこにでもいるものです。

 

従って、見識をさらに胆識まで昇華させる必要があります。

そこでこれを実行するためには、いろいろの反対、妨害等を断々乎として排し実行する知識・見識を胆識と申します。つまり決断力・実行力を持った知識あるいは見識が胆識であります。これがないと、せっかくの良い見識を持っておっても優柔不断に終わります。

最後までやりきる力、やりぬく力が胆識です。より一般的な用語で言えば胆力。

 

これ、実は胆識だけその前の2つと大きく違うことに皆さん気づかれましたか?

知識見識は考えること、頭の中だけのこと。決断や意思決定にしてもそうですよね。

対して、胆識とは行動が伴います。考えたことを行動に起こすこと。陽明学では「知行合一」と言います。「知っていて行動に移さなければ、それは "知っている" ことにはならない」という意味です。

 

私たちは空想の世界ではなく現実世界を生きているわけですから、主体的に世の中を動かしていこうと思ったら、ここまで自らを高めなければならないという、とても貴重かつ実践的な教えです。

 

なお、この知識・見識・胆識の話は、「活眼活学」という文庫本に収録されています。

[新装版]活眼 活学(PHP文庫)

[新装版]活眼 活学(PHP文庫)

 

 

この教えをどのように活用するべきか

最後に1つ付け加えます。

こういった教えも知っただけではまさに「知識」止まりです。これをどう胆識まで持っていくのかを考えて、そしてそのためのアクションを行うことこそが大事であって、それこそが知行合一の考え方です。そういう一連の活動が哲学なのです。

 

具体的方法論は自分自身で見つけ血肉としなければなりませんが、ステップは以下のような感じでしょうか。

  1. まず知識・見識・胆識の違いを理解する
  2. 学習時にはその知識をどのように活用するのか、つまり見識を見越した上で知識を身につけるようにする
  3. 常日頃から自分のスタンスを明確化する。意志決定するポジションにいなくとも「自分であればどう判断するか」を考え、そして自分の意見を述べる
  4. 決断力と実行力の両面を持ち備えている人を探しロールモデルとする。どのように周囲を動かしているのかを学び取る
  5. 試行錯誤しながら自分なりのスタイルを身につけていく

 

たぶん3と5が難易度高めですね。

1,2は考えの領域ですが、それをステップ3で自分のスタンスを明確化し「意見を述べる」というアクションに変換する。この小さな一歩が肝要です。

あとは手本を見つけて、それを現実化するための手段を身につけていくというプロセスではないでしょうか。

 

 

さて、今後も今回のように安岡正篤先生の言葉を取り上げていこうと思いますが、 安岡正篤先生についてもっと知りたいという方は、次の書籍がおすすめです。 

新装版 人物を創る (安岡正篤人間学講話)

新装版 人物を創る (安岡正篤人間学講話)

 
新装版 知命と立命 (安岡正篤人間学講話)

新装版 知命と立命 (安岡正篤人間学講話)

 
 

また「安岡正篤」紹介本も、読みやすいのでとっかかりとしてはとても良いと思います。 

実践版 安岡正篤 (一流の仕事人になる為に身につけるべきこと)

実践版 安岡正篤 (一流の仕事人になる為に身につけるべきこと)

 
安岡正篤先生からの手紙

安岡正篤先生からの手紙

 

 

僕のような若いビジネスマンで安岡正篤や東洋思想に学ぼうという人は少ないのかもしれませんが、仲間を増やしていきたいですね。

ではでは。