点灯夫のように生きよう 〜 外資系コンサルタントの小さなつぶやき

点灯夫のように生きよう 〜 外資系コンサルタントの小さなつぶやき

とある外資系コンサルティングファームで働いているアラサーのつぶやきです

抽象的な方針は超具体的な話まで落とし込まない限り、現実は何も変わらない

先日、抽象的思考と具体的な思考を行き来することで、思考を深めていく方法を書いた。

lightingup.hatenablog.com

これは、自分の頭の中で思考を深める時だけでなく、人とディスカッションする時であっても有効だ。

経営コンサルタントという職業柄、クライアントと抽象的な議論を行うことが非常に多い。何かの方針だったり、あるべき姿だったり、テーマは様々である。

 

こと私に関しては、正直クライアントとの抽象的な議論を抽象的なまま進めるのは苦手である。中には抽象論でどんどん話を進め、かといってそれが妄想ではなく現実味というか、語っていることは抽象論だけれども強固な論理やFactに裏付けされ、結論や合意にまで至らるツワモノもいるのであるが、まだまだそこまでの実力を自分は付けられていないということだろう。

 

ただ嘆いていても仕方がないので、自分はクライアントとの抽象的な議論であっても、極力具体的な話に落とし込んで討議することを心掛けている。

 

抽象的なテーマは具体的な話に落とし込め!

今日も、ちょうどそのようなエピソードがあった。

新しい取り組みを開始したばかりのクライアントと、その進捗を追うための月次の会議をどう運営すべきかを討議していたのだが、どうもお客さんの考え方が抽象的というか曖昧で、「進捗をレビューしたい」「ナレッジを収集したい」「PDCAサイクルを回してPDCAサイクルを回していきたい」というふんわりとしたお話ばかり。まあなのでこちらに相談が来たわけですが。。。

実情もやはり結果通りと言うか、過去2回の会議では、深い議論はできずにただ進捗の報告会で終わってしまっていたらしい。

 

さてそこで何を話したかというと、抽象論にたいして「どういう会議であるべきか」という抽象論をぶつけても話は進まないので、こちらから会議で用いるテンプレート(と言ってもただの空箱だが)を持って行って、超具体的に「そこにどういう情報を書き込むべきか」というボールをぶつけ、話を進めていった

ちなみにその会社ではサービスラインに合わせて4つの部門がぶら下がっているのだが、件の会議体に臨む前の月次の部門別会議体でそのテンプレートのどこを埋めて、さらにその下のレイヤーの実務者が全員参加する週次の部門別定例会ではテンプレートのどこを埋めるのか、ということまで話し合い決めてしまった。

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そうすると、ここはこちらの仮説通りだったのだが、一番下のレイヤーの週次部門別例例会で進捗しか報告おらず、その上位の会議体も進捗報告のみになり深い議論ができていなかった、という課題の原因が浮き彫りになってきた。

 

ここで、さらにもう一押し

さてここで話を終えてしまったら、現実は変わらない。

ということで、実は「現場で進捗報告からナレッジを抽出することができていないのだろうな」、ということをあらかじめ見越していたので、事前に用意しておいたなぜなぜ分解用のフォーマットをクライアントにお見せし、その場でその会社用に文言修正など多少のアレンジを加え、週次定例会用のフォーマットを作成してしまった。

ja.wikipedia.org

 

正直、ここまで具体的なところまで話を落とし込んで考えないと、現実は何も変わらないし動かないと思う。

「じゃあ現場で成功体験や失敗体験からの学びをまとめてもらうようにしましょう」とか「現場には『なぜ』を繰り返して学びを見つけるように促しましょう」などの上っ面だけを話しても、実行まで落ち切らない。これは、ほぼ絶対そうだ。
(現場で勘のいいひとがいれば回るケースもあるが、それはかなり属人的なソリューションなので推奨できるものではない)

 

なぜ具体論を避けてしまうのか

さて、ここまでの話、頭では分かっていても行うのはなかなか難しいかもしれない。

何が難しいかというと、話をうまく導くとか、「テンプレートを用意する」というアイディアが思いつくかどうかとか、先まりしてなぜなぜ分析のテンプレートを用意するとか、そういうスキルやテクニカルな話ではないと私は考えている。そんなものは、どうにかなるし、正直なくても問題はない。他の人の知恵を借りればいいのだから。

 

大事なことは、そのような他人からでも借りられるものではなく、「言い切る勇気」だ。

 「~~的な」などと言葉を濁してはいけない。事実と論理という根拠を自信に変え、言い切る。これが大事ではないだろうか。
(自分で言うのもなんだが、「事実と理論という根拠を自信に変え、言い切る」というフレーズ気に入った笑。今度後輩の資料のレビュー時かどこかで使ってみよう・・・)

 

これは、これまでも何回か取り上げてきたのだが、頭の中の話である知識や見識ではなく、まさに現実を変えていくための、やり抜く胆力・胆識のための必須要素だと思う。

lightingup.hatenablog.com

 

言い切るということが苦手なかた、是非「勇気」をもって。

 

 

そして最後に、これまた「どうやって勇気を持てばいいの」と疑問が沸くわくはずなので、具体的なアドバイスを。

一義的にはロジックによる裏付けが自身を生むのだが、それ以上に「根拠のない自信」も必要だと思う。

 

そしてそれ以上大事なのは、「間違っても大丈夫」というマインドでしょうかね。

今回の例のテンプレート案にしたって、仮説に基づいて作成しているものだし、間違っていたらそれを修正すればいいだけの話。普通の職業の人であれば、自分の意思決定が人の生き死や会社の倒産に影響を与えるなんてことはないだろう。だから安心して、間違えればいいのだ。間違っていたり大きく外していたとしても、その「言い切る」という姿勢やその発言そのものが、その場を動かしていくのだから。

 

ではでは。